2011年9月20日火曜日

本音と建て前

 原発に関する意見は個人、団体を問わず様々なブログなどで様々な提言、さらにコメントなどでいくら時間があっても足りないほどの情報量である。これまで国策として核開発の一貫として原発が推進されてきた背景もあり科学技術としての議論、政治経済としての議論、どれも広く公開されているとはお世辞にも言えない状況である。したがって、福島原発事故を経験して半年が経っている現在においても原発知識がほとんどない、あっても非常に偏った情報、嘘の情報、が山ほどあるのが実態である。
 原発というものがいったい何か? その歴史も含めて本当に多くの時間をかけて学習しなければわからない。
いまだに原発を擁護する側で原発の事故と自動車事故、飛行機事故とを並べて論ずるような馬鹿げた無知としか思えない意見が、著名な経済学者でさえ発信していたりする。自動車事故や飛行機事故で放射能がばらまかれるわけはないのだが。
 まだまだ多様な意見を聞いてきたわけではないが、それなりにある傾向がわかってきた。原発に反対する意見では、原発とは何かという事実を積み上げて、その危険性、非経済性、不合理性、などを論じていることが大半であるが、原発に反対ではない立場の意見は原発の良い面を論理的に説明していない。いやできていない。原発を否定する意見に対して低レベルな反論に留まって、素人でも論理破綻をきたしていることがわかる。それに原発を推進する動機がすでに歴史的に崩れ去った理論を持ち出した建前論ばかりで、心から賛同したくなるような本音は絶対に表面化しない。つまり、本音は目先の金儲けなのである。原発という商業的なシステムに限らず核兵器をも含めた「核開発」そのものが一握りの「金の亡者」の本音なのだ。だがこの本音は絶対に表には出ない。
 「建前」は社会の緩衝材のように時には好い働きをするが、「本音」で議論できなければ人を社会を動かす力にはならないだろう。「反原発」も建前論ならすぐにでも消えて忘れ去られてしまうだろう。「本音」でまじめな議論を積み重ねることが大切だ。

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